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Channel: 強運を掴む【秘伝開運の132法則】を占い師青樹庵がズバリ大公開
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そのとき、わたしはジャーナリストでした

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青樹庵です。

東京オリンピックのとき、わたしはジャーナリストとして会場を駆け回っていました。
ウソです(笑)

こんな裏話を書いていいかどうか?
まぁ50年も前のことですからね、読者さんはチェックしないで読み流してね。

じつは報道関係の知人から通行証と腕章を借りて歩き回っていたんです。

その頃は世界にテロもなかったし、おおらかだったから厳しいチェックもなく良い時代でした。

開会式も他の知人からチケットをもらって見ることができました。
入手が困難と云われていたけど。

わたしは36才、長男がまだ3才だったので当時5才の甥を連れて行きました。
どうしても次の世代に見せておきたかったから。

敗戦後の日本は、国土の多数がいまの宮城県の大津波後のような焼け野原でした。

地震なら1つの地域であり国からの支援で復興しますが、どこからも救いの手はなく、食べるものにも事欠く状態でした。

で、そんな日本が不死鳥のごとくよみがえったのは、2つの切っ掛けが有ったと思います。

1つは1950年に勃発した朝鮮戦争で、国連軍は武器の調達を近い日本に求めました。
とつぜんの軍需景気が起きました。ここで息を吹き返しました。

その後も徐々に復興していきましたが、1953,4年あたりはまだまだ不景気な時代だったと記憶しています。

1959年にオリンピックの次回の開催地が東京に決まりました。
そのあたりからの公共事業はものすごかったです。
代々木あたりから青山にかけて、大はばに区画整理と建築が始まりました。

そもそも、代々木には陸軍の練兵場が有ったからか、代々木、青山、赤坂、渋谷一帯は、特に激しい空爆で一面焼け野原になっていました。

現在の代々木公園は、戦後すぐに進駐軍の住宅棟が建ち並び、ワシントンハイツと呼ばれていました。
日本人が立ち入ることのできない地区です。
アメリカの占領時にはそんな地区が日本中に有りましたよ。

つまり、代々木辺りは国の所有物だったのでオリンピック関係の建物を建てやすかったものと思われます。

てなことはさて置いて、
日本に高度経済成長が始まったのは、まさにオリンピックがきっかけでした。
経済が動くというのはすごいことです。

7年後のオリンピックが日本にもたらすもの、経緯を見てきた者としてとても楽しみです。

青樹でした

お祓いとは


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